怖い一日

 昨日から夢を見続けている。だからその夢がいつ終わっていつ始まったか記憶が定かでない。
 たしか,三年前に急逝した幼なじみの友が,何かを一生懸命計算していた。それは自分も計算したことのある伝票のはずで,どうしてその友が額に汗をして計算を続けているのかはじめはよくわからなかった。
 徐々に視界がひらけてきた。風の音が耳の後ろに響くような朝だった。そこには,まだ夢のなかにいた友だちが立っていた。もうひとり,中学の時の同級生で電車に飛びこんで肉体がこの世から消えてしまったはずの女の子も立っていた。
 ふたりはぼくを待っていた。ぼくはそんなふたりの小さな記憶を頭に浮かべていた。
 中学の臨海学校で夏の海に泳ぐぼくの足を,その女の子が必死で握りしめていた。彼女は溺れかけていたのだ。溺れるものはぼくの足をもつかむというとおり,ぼくは必死でつかまれて,同時におぼれかけた。足が自由にならずに海の底に引きずりこまれる,じつに恐ろしい瞬間だった。
 その時,救世主が現れた。同級生だった三年前に急逝した友だちが,中学生としてはすばらしい機転をきかせて,救命の浮き輪を投げてくれたのだ。ぼくは必死で浮き輪をつかみ,女の子はぼくの足をつかんだままやがて波打ち際まで来ることができた。
 その夜,ぼくの足が疼いていた。女の子の手のひらの痕がくっきりと残っていた。まるでクラゲに刺されたように腫れ上がって高熱が出た。
 友だちはぼくを救ったあと,なんでもないように笑って去っていった。その後ろ姿がいつまでもぼくのこころの中に残っていた。感謝の気持ちをなんと現していいかわからなかった。
 
 その3年後,女の子は近所の遮断機が下りた踏み切りに飛びこんで,からだをバラバラにされてしまった。そのことを高校の教室で知らされたぼくは,足首に残る傷跡がやけに疼くのを感じた。あの時いっしょに海の底で溺死体になっていたかもしれないぼくたちの姿が昨日のことのようにぼくの頭に浮かんでいた。
 友だちは別の高校でその知らせを受けた。友だちはぼくたちのことを思い出したらしい。その晩,ともだちから電話があったのを覚えている。
 「あいつ,なんで死んじまったのかな。あんなに死ぬことを怖がっていたくせに」
 ぼくはなにか言わなければならないと思いながら,なかなかことばが出なかった。
 「もしかしたら,ぼくを道連れにしたかったのかもしれない」
 
 あれから20年以上の月日が経って,友だちは突然亡くなった。心筋梗塞だった。
 ぼくも心臓の血管がつまってしばらく入院した。ぼくはまた生還してしまった。
 ぼくの胸には友だちの残した傷跡が残った。まるでぼくを道連れにしようとしたかのように。友だちはとてもいいやつだった。あまりにいいやつは一人で死ぬことが怖いにちがいない。
 ぼくの足首には,まだ女の子の手の痕跡が残っていた。ぼくは自分がふたりに対して裏切り行為をしているような気がしてたまらなかった。

 そして,今日,最後の一日を迎えた。怖いほんとうに怖い一日。これでなにもかも友だちと女の子に残す未練はなくなる。
 信号が赤になってから,ものすごい勢いで車を交差点の真ん中に突っこんでいった。
 ぼくのからだはぐじゃぐじゃに壊れてしまった。
 それでも足首の傷跡と胸の傷跡の部分だけ,きれいな姿で残った。
 ぺしゃんこになった車から,そのからだの部分だけ搬送されていった。
 
 友だちはそのぼくのからだを検死しながら,計算シートの数字を埋めていた。



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